💓神聖な心の旅路 彼の住む街へ

彼の住む街へ

 

私と彼とは県も違いかなり離れたところに住んでいました。それなのに、いったい私は何を考えていたのでしょう。

矢も楯もたまらず、「彼に会わなければ」と思ったのです。それは彼と出会う2年前に一ヶ月入院したこともあり、その後も同じ病が見つかり、短い入院をしていたのです。その事もあって、私は会いたい人には、今のうちに会っておきたい!人生の終わりがいつかはわからないから、とそうした覚悟のような物すごい気持ちになったのです。

最期を迎えた時に、「あの時行けばよかった」と後悔したくなかったのです。

そして、その日が来ました。

私はひとり、彼の住む街へ出掛けました。駅に着くと改札口で手を振っている彼がいました。なんだか自分の行動力が少し恥ずかしいような、複雑な思いも横切りましたが、お互いに、変わらぬ笑顔で挨拶をしたのです。

彼の車に荷物を載せて、市内を走りだすとフロントガラスに粉雪が舞っているのが見え、粉雪はまるで踊る妖精のようで、二人を歓迎するかのようでした。

それはとても幸せな空間でした。

美術館に行き、静かな美術館で二人並んで絵の鑑賞をし、それからまた車を走らせて、冬の海を見に行きました。始めてみる冬の海でした。風は強くなくて頬もほてっていたのか、冷たさもあまり感じなかったのです。

二人並んで海を眺めて彼の説明を聞きながら、しばらくたたずんでいました。

そして、車に戻りベルトを締めると彼はこう言い出したのです。

「手紙をもらったことがあるよ。」と。でも私はわからなくて、ポカンとして「私が?」と言うと、「忘れているんだ。」とがっかりした表情でフロントガラスの方を見ていました。「なんのこと?」と聞くと、「卒業式の時に下駄箱に手紙が入っていたんだ。」と言うではありませんか。その様子で、私は彼の下駄箱にラブレターが入っていた事がわかったのですが、「それって、もしかして○○ちゃんからじゃあないの?」と当時○○ちゃんがO君の事を好きらしいと、聞いてた記憶があったので、慌てて言ったところ、「いや、彼女じゃないよ、彼女は同窓会に出るようになって知り合ったから。」と言うのです。私にはとにかく心あたりがないので、つい、私はいつも忘れっぽいから、と話してこの話は終わったのです。

ホテルに私を届けた後、夕食の時間にまたホテルにくるからと、彼は約束して帰りました。私はチェックインして、ベッドに横になり手紙の事を少しばかり考えて見ましたが、やはり心あたりはないのです。彼の言葉が耳から離れないで、心地よい声を大好きな声を、直に聴けたこの日を幸せに感じてベッドの上で身体を伸ばしていました。

夕食の約束の時間少し前にロビーに行くと、彼はもう来てくれていました。「まだ少し早いから」と彼は座るように言い、私は荷物からお土産を出して彼に渡しました。

彼は子供がいると、話してくれました。私も「息子がいるの」とそれぞれの家族の事を話していたのですが、お互いに連れ合いの事は話ませんでした。この年齢だもの、結婚して子供がいて、それが普通だもの私は驚かないわ。

彼とタクシーでお店に行き、ふたりで少しのお酒とおいしいお料理をいただき、話もはずみました。その時、彼の口から以外な事を聞いたのです。

「僕はクリスチャンです。伯母の影響で教会へ行くようになって、それで洗礼を高校生の時に受けたのですが、家族は皆別です。僕だけですけど。」

この事がどれほどのショックだったのか、私の顔がどうなっていたのかも、わかりません。想像すらできなかったことでした。あれからもう数十年も経つのですから、人生色々あって当然なのに、これには私はびっくりして、しばらく言葉を失いそうでした。

「そうだったの。」と言ってから、私は辞めればいいのに、その頃私はバチカンの秘密を知ってしまっていたのでした。

バチカンとは関係があるの?」と聞くと、「総本山みたいなものだからね。」と彼は嬉しそうにしていました。それなのに、私は黙っていられずに、「バチカンへは行かないで、O君がきっと傷つくから、絶対に行かないで!」とまで言ってしまったのです。

あーあ、なんて私は楽しい時間を台無しにしてしまったのかしら。でもこれは本当のことだもの、いつか知る事になるし、その時はかなりショックを受けることになると、私にはわかっていたからです。とにかくバチカンへは行かないでほしかったのです。

彼はちっとも気にしていない風で、笑って私の顔を見ていたのです。

急いで私は別の話題に変えて、大笑いし合ってそして食事を終えて、私をタクシーでホテルまで送って、彼は「明日ホテルに迎えにいくよ」と言い残して帰って行きました。

翌朝、私はお土産を買いに、ホテルの近くのお店を見て周りホテルに着くと、彼が待っていました。

私は「昨日ひどい事言ってしまったから、もしかしてこないかもしれないと思ったわ。ありがとうね。」と正直に言いました。

 彼は私がフロントに預けていた荷物を車に積んでくれて、「少し案内するよ、時間大丈夫だよね。」

そうして、また少しの時間を楽しく二人で過ごしていると、また粉雪が舞い始めました。それは空から溢れるように降ってきて、私達を幸せな気分にしてくれました。

そう、あの「冬のソナタ」見たいに。

車の中でも、たわいのない会話が続き、昨日の初デートといい、ふたりとも以前からの友人であったような不思議な気持ちでいました。

駅に着くと、彼と握手して「元気でね、またね。」と言いあって別れました。

電車に乗っても、なぜか二人一緒にいるようで離れているような気がしませんでした。

私は幸せで一杯のこの2日間を過ごす事ができたのです。

そして、私は心密かに「これでいい。これ以上望んでも誰かが傷つくし、誰かを傷つけるのも嫌だわ。」と彼には心から感謝したのでした。

また逢いたいし、なんだかこの日を迎える時の決意を思い切って彼にメールしました。

「お元気で、お互いにまた会おう」と短いメールが帰ってきました。

そうしたら、涙が出てきて「きっとまた逢う事ができる」と確信したのです。

 

旅から帰ってから、私は同窓会で会えなかった友人のことを思い出していました。彼女は運動神経が良くて、私はいつも羨ましく思っていたのです。それに彼女の足が素晴らしくきれいな足をしていて、いつも私はそれを褒めていると、「いつも足ばかり褒めるのね。他はないの?」と言われて笑いあった中なのです。

お互いに引っ越しをしたために、行き違いとなり、音信が途絶えてしまったのです。その彼女とは交換日記もしていました。そんな彼女と懐かしい話をしようと思っていた同窓会に、彼女は来ていませんでした。

その時に、私の脳裏にある光景が浮かんだのです。それはO君のクラスに行き、O君を呼んでもらい、彼に手作りのウサギの小さなマスコットを差し出してあげたのです。O君はにこにこしてそれを受け取ってくれたのです。確かその時に制服の右ポケットに渡すはずの手紙が入っていたのですが、私はその時に直接渡す勇気がどうしても、どうしてもなかったのです。それで、「じゃあ」と言って教室のドアを閉めてから、廊下をもどって、角を曲がるとそこに仲良しのYちゃんがいて、「どうだったの?渡せたの?」「ううん、渡せなかったの。」「じゃあ、下駄箱に行こう。」と言って、私達は並んで急ぎ足で階段を下りて、下駄箱にいき、名前を確かめるとYちゃんは「誰もこないか、見ていてあげるから、今がチャンスよ」といって角から手を振ってくれたので、私は手紙を彼の名前のついた下駄箱を開けて靴の上に置きました。

 

ああ、私だったのね。やっぱり私は忘れていたのよ。

私はその日、すぐに彼に電話をして、この事を話したのです。彼も喜んでくれて、「良く思い出したね。」と笑っていました。私は「もうそれ以上は覚えていないので、どんな事を書いたのかは、わからないのよ。だけど私のことだから、嘘や冗談ではなくて、本当のことを書いたと思っているわ。」彼は「うん、うん」と聞いてくれていました。

 

その後いつだったか、彼からその「手紙」はまだ自分のところにあると思います。と言っていました。ああ、私の忘れていた手紙を覚えていただけではなくて、捨てもせずにいてくれたことに、ただただ感激してしまいました。

卒業後に、彼は市内の県立男子校へ、私も市内の県立の共学校へと進学して、依頼一度も会っていませんでした。

 

廊下を歩く人