💓神聖な心の旅路 私は子ども時代のトラウマもすでに手放しています

私は小6の時に、転校をしました。新しい小学校に私は胸を膨らませて登校しましたが、その一年間は私にとって、壮絶な一年となりました。

転校してほどなく、母親を亡くしました。そのうえ担任の男性教師は理知的な判断ができる心の持ち主ではありませんでした。教師の子供達の班を作るやり方が、私の心を傷つけました。私が傷つけられたのではなく、クラスメートの何人かが心が著しく傷つけられたことを、私は子どもながらに、教師がしてはいけない方法だと思ったのでした。

その事を帰り道で一緒だった数人に、何日も話をしてきたのでした。

そうした結果、なんと私が、放課後遊んでいた友人達の家に行くと、断られる日々がつづいたのでした。先生を批判する子を良しとせず、親たちは自分の子供を守ろうとしたのでしょう。クラスの保護者会の後、それは決定的な状態になり、先生を斜めから見ていた一部の人を除いて、クラス中から疎外されることになり、

私はひどく傷つき、学校へは行きたくなくなりました。

この話は、母親がいなかったので、父親には話をしていました。

其の後中学へ進んだ時には、その小学校の人は殆どいない中学でしたので、私は救われ、私の話を理解してくれた友達もできたのでした。

数年前にツインソウル、ツインフレームの彼と同窓会で再会した後、私の心のトラウマになったこの一年の出来事は、すべて手放す事になり、今では私の心はこのトラウマからくる、揺さぶられることはなくなったのです。

そして、改めてこの当時のことを良く考えるきっかけになったのですが、この教師はいじめっ子を助長し、いじめられっ子を作りだす、そういうやり方をしていたのでした。

私が今振り返って思う事は、大人のわが子可愛さはわかりますが、真実を知ろうとする人は見当たらないということです。自分の子供の話から誤解が生まれたのでしょう。

中学、高校時代に、当時のクラスメートと遭遇することがありましたが、誤解されたままであることがわかりこれも辛かったですね。

私は、この時の1年間を振り返ることなく、生きてきましたし、父親からの応援もあり、今では亡き父親にはこの時の事に感謝しています。

父親は、黙して語らずを通していましたが、出るべき時を知り、それを私にするようにと、背中を押してくれました。

それは人として誤った方法ではなく、人としてどのようにすることが出来るのかを教えてくれたものでした。

人生を悲しみの中で生きる、それしかない時もあります。それでも時間は流れていき、わかってくれる人が一人、二人となっていくのです。

私の子供時代は、悲しい事が続きましたが、それでも何とかやってきましたし、今では私は間違っていなかったと、父への感謝と共にここにいます。

部屋に一人になって、自分の内側を見てみると、やがて自分の子供時代へと遡ります。自分の子供時代の苦しみは、大人の自分がその時子供だった自分を内側で見つめて、大人の自分が抱き締めてやることができるのです。それは子ども時代の自分への最大の癒しの効果があります。💓

白と青の馬のカルーセル