💓 神聖な心の旅路 心に残っていた重いものにさようなら

私の心の中はサレンダーし尽くしたかのように、日々過ごしてきましたが、まだ残り火のように、そこにありました。

それは、夫の両親について思い出したことから始まりました。

夫の両親はとてもにこやかで、結婚するまで何回か会っていましたが、とても感じのよい人達で安心しました。

ところが、結婚してから数年も経たないうちに、義母への不信感が芽生えたのでした。義母はいつもにこやかに私に話かけるのですが、彼女が帰ったあと、私はいつも頭が混乱し、ぐったりとして、何もする気になりませんでした。

彼女は言葉によって私をコントロールし始めたのでした。このような人に私は会った事も見たことも聞いた事も有りませんでした。

それでも、若かった私はとにかく仲良くしなければ、という嫁としての当然のような考えを持ってやってきました。

その彼女による私へのコントロールには、夫も義父も何も言いませんでしたし、不可解だとも思う事もなかったようです。

私は義両親への不信感が最初に来て、その後夫にもその不信感を持つようになったのでした。夫は若いのですから、まだこれからだと信じていました。

義母は自分の子供達に条件付きの愛情を注いできたのでした。子供を自分の理想の子供へと育てるのを自分の子育てのすべてだと信じてきた人でした。ですから夫は条件付きの愛のコントロールの中で育ってきたのです。

夫は見事に義両親の思い通りになったのですが、それは大切なものを受け取ってはきませんでした。自分の価値感に不安定になっている人ですし、反面プライドが高い人です。それでも私の父が健在の時には、夫はそういった態度はあまり出しませんでしたが、父が亡くなると後ろ盾のない私への見下しが始まりました。

私の父からの協力もすでに忘れていました。人から少なからず受けた恩は忘れないものだと思っていた私には、あきれるばかりでしたし、私が夫の話を受け入れて協力を惜しまずにしてきたことも、まるで当然のごとく、更にまだ足りないと言われてきました。

このような仕打ちに打ちのめされた私は、この結婚を終わらせようと決心したのです。

 

私の結婚はそれからも以前にも書いたように、終わらせることはできませんでしたが、義母の育て方にも、問題があり、夫がこのように育ったのではないかと考えるようになりました。

そして私はこの義両親についてもサレンダーし、夫の育った環境もサレンダーしました。すでに義両親は亡くなっているので、私は幸いにも、もう関わることはありません。

天界からは、いつも「犠牲になっていると感じたら、そこから離れてください。」、とメッセージを受け取っていました。

このような過程があった事をただ私は学んだのです。

若い時から、心に深く沈めてなるべく火が付かない様にしてきました。

ですから、心の中にはこうした重いものが残っていたのです。すべてに「さようなら」と言いました。私にとって辛い人生を思い返す事は、とても辛いものでしたが、私はこれからの第2の人生を始めるために、これが必要であることも知っています。そして全てが導かれていることも、わかっています。天界は私の心を軽くして波動をもっと高くできるように気づかせてくれたのです。ほんとうにありがとう💓

 

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